ホラーいうよりはサスペンス&スリラーみたいだった。
なかなかの満足度で。ポスター見て気に入ったのですが(人間ドラマだと思ったらホラーみたい)。『ゲット・アウト』の監督さんだったのね。
今年見た中でのホラー『へレディタリー』は越えられないなぁ。アデレード(ルピタ・ニョンゴ)の演技は良かったんだけどトニ・コレットの顔芸に比べたらw。つかあの顔芸は香川照之を凌駕するくらいだったしな。
「ホラー」と「ミステリー」と「スリラー」と「サスペンス」の違いとは? ( その他映画 ) - さすらい物書き裏ブログ 旅と魔法と殺人鬼 - Yahoo!ブログ
「恐怖を主題としたもの」→「ホラー」
「謎を主題としたもの」→「ミステリー」
「緊張感を主題とし、恐怖に重きを置いたもの」→「スリラー」
「緊張感を主題とし、謎に重きを置いたもの」→「サスペンス」
だそうで。これを『アス』に当てはめると微妙なんすよ。全てに当てはまるから。全然怖くないホラーだけど面白い部類。この感覚は『ドント・ブリーズ』に似てるかな。
というか。サプライズスリラーだそうで(予告編でそう書いてあった)。ジョーダン・ピール監督はスリラーが大好きみたい。やはりヒッチコック好きか。インタビュー動画も見たけど主役のルピタ・ニョンゴを買ってるんだな(一人二役がマジでスゲー)。やはりスリラーなんで「怖さ」という点では微妙ですな。
というか。ワシがヒッチコキアン(ヒッチ崇拝者)と認める監督はデ・パルマだけじゃw。
なかなか奥深い作品ですな。もともと監督は格差社会、人種問題をベースに「ドッペルゲンガー」を交えたスリラーにしたようです。
自分の分身と戦うというのはSFの世界ではよくありますね。いわばクローンですか。ホラーだとドッペルゲンガーになるわけで。でもドッペルゲンガー扱ってるホラーってこの『アス』ほど戦ってない印象が(忘れてるだけなのかもしれないが)。
「社会的な映画を作る時、社会の恐怖をテーマにするようにしている。人が集まると起きる邪心だ。そのひとつが同族主義。自分に近かったり、同じだと思ったりする人たちは、自分と遠い存在だったり知らなかったりする人たちよりも価値があるとする考え方だ。今の米国は、世界の他の多くの国と同様に、外国人への嫌悪に基づく政策をとっている。自分たちが他の人たちより大事だと考えている。今は同時に、『世界で自分の居場所はどこにあるのか?』といった問いも差し迫った形で持ち上がっている」
「イジメ」にも通じるよね。そういうのって極論すると「自分と同調しない人間はクソ」みたいな感じかな。犬が吠えるのは「怖い」からだそうで。本能なのね。それと同じように「周りと違う」のは本能的に排除したがるのかも。内田有紀は可愛いという理由だけでいじめられたというし。
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ピール監督は「今作には米国の比喩やイメージがたくさんある」と言った。いや、米国だけでなく、今の日本にも欧州にも重なる。そう思っていると、ピール監督はこうも語った。「みなさんが思うものが『アス=私たち』だ。『アス』は家族かもしれないし、米国や日本かもしれないし、全人類かもしれない。そう感じられるように今作を撮った。この映画は階層について論評した点が明らかにあるけど、同時に、より大きなものになっている。敢えて、今作を定義するのは観客だという風にした」
見終わったあと「あの伏線はこういう意味だったんだ!」とジワジワくる(最初はサスペンス&スリラーの面白さでも翌日には社会問題について考えさせられてしまう)。ツッコミどころもあったが飽きさせない脚本が功を奏したのか最後まで突っ走った感じですかね。
それにしてもルピタ・ニョンゴの演技はすごい。影の自分は「空気が凍る」ような演出だし存在感ありすぎや。登場人物は主に二組の家族なんだけど演技を分けていて彼らもすごい。白人家族の旦那さんはコメディアンだそうで。ピール監督も「絶妙なバランスの俳優」と褒めてたとか。
★
ホラーの根底にある「哀しさ」は伝わると思います。アデレードの影が泣きながら自分語りをするシーンは怖いながらもグッとくるもの。自分は同じホラーでもただ驚かせるだけのスプラッターものは好きじゃないんだよねぇ。