ホットペッパーグルメの『メシ通』サイトは読者登録してるし料理のレシピだけでなく読み物としても面白いのでよくブクマするのですけどね。こういう時代もあったこと知っといたほうがいいなぁ。
食糧難で生まれた「節約メシ」から学べることを、『戦下のレシピ』著者に聞いてきた&作ってみた - メシ通 | ホットペッパーグルメ
日本中の人たちが食べるものに困っていた、戦時中。配給も限られており、その中でもどうにかお腹を満たし、少しでもおいしく・楽しく食べるために趣向を凝らした料理が存在する。それをまとめたのが、『戦下のレシピ――太平洋戦争下の食を知る(岩波書店)』(以下、『戦下のレシピ』)だ。ドラマ『ごちそうさん』(NHK)や、映画も話題になったマンガ『この世界の片隅に』(双葉社)などの参考資料にもなった名著である。
そうそう!『この世界の片隅に』で少ない食材を生かして量を多く見せる工夫したシーンあったっけ。すずちゃんがなんか楽しそうだったな(本当は食糧難でアレなんだけど「気は心」というか)。
斎藤さん(以下、敬称略):日本ってもともとそんなに料理熱心じゃなくて、昔の家は台所がないんですよ。──そうなんですか?
斎藤:ふつうの農家だと、いろりでごった煮を作って済ませるとか。でも栄養学がメディアや女学校を通じて普及したことが料理をしっかり作る契機になったの。立って働くキッチンも出て、いろんな家庭料理をするようになったのが昭和のはじめぐらいですね。 ※野菜・肉などいろいろな材料をいっしょに煮込んだもの
──料理をする環境が整った。
『主婦の友』って地味にすごいんだなぁ。昭和初期から家庭料理するようになったのね。そういや映画『小さいおうち』で中流家庭で普通にお手伝いさんがいるシーンあったっけ (今ではイメージとしては上流階級なんだけど)。
──本にはそんな風に、戦争が進むにつれ食卓がひっ迫していくさまが書かれていますね。斎藤:戦争においては戦況と食卓の貧しさはリンクしていて、そこを意識して説明しています。
──読んでいくと、戦況が悪化した1943年には配給が滞って、1944年からは生命の危機に日々さらされるようになったとありますが。
斎藤:婦人雑誌も1944年ごろからは、家庭菜園の記事ばっかりですよ。
──切実ですね。
斎藤:手芸やってる場合じゃないから、半ば農業雑誌です。「ウチではイモが育ちません、どうしたらいいでしょうか」なんてQ&Aもあるし。
生きるって大変なんだよなぁ。
──戦争が終わったあともひどかったと聞きますが……。斎藤:そう、終戦後の1年がいちばん食糧難で。外地(本土以外の日本領土だった土地)にいる600万人ぐらいが日本に戻ってきたのに、大凶作で配給もひどくて。謎の粉みたいなものが配給されるんだけど、それすら加工して食べるのに苦労していて。どんぐりも食べたみたい。
──焼け石に水ですね。
斎藤:主食として「海藻めん」まで登場して。カロリーなんかほぼ無いよね……。
どんぐりって・・リスですか(滝汗)。謎の粉が配給されるのも嫌すぎる。涙が止まらないよぉ。
──斎藤さんがこの『戦下のレシピ』で伝えたかったことは?斎藤:庶民の戦争とは「食事が取れなくなる日々」であることを、知ってほしいです。
──ふだんの食事がうまく取れないと、気持ちが参ってしまいますからね……。僕らはコロナ禍の自粛生活ですら、スーパーには食材があったし。
斎藤:食べたいものを普通に食べられるからね。戦時中は夜中に空襲警報でたたき起こされるし、日々疲弊している中でがんばって作った料理なのに食べられるのはわずかで。おいしいものを食べることは体にも心にも影響が大きいですし。
──生きる支えですからね。
斎藤:食がどれだけ人の精神を支えているか。それが最後のよりどころだから、失われるのはもうダメでしょう。
確かに「病む」よなぁ。特に戦時中は空襲警報で夜中にたたき起こされるし睡眠不足でもアレなのに食材もわずかなんて・・俺だったら気が狂うな。「食がどれだけ人の精神を支えているか」は名言だなぁ。暮らしの名言。
テレビで食い物関係の番組あっても大食い・早食いの類は好きじゃない(あと激辛料理とか・・そこまでして辛くする必要あんのか?)。なんか下品なんだよなぁ。頑張って食べる姿は美しいとか思うかぁ。
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主婦の友廃刊ニュースと戦争中の同誌について - Togetter
もうアグレッシブ過ぎるw。「アメリカ人をぶち殺せ!」とはwww。そんな時代もあったんだなぁ。