そんなことより僕と踊りませんか?

例えば良い物語があってそれを伝える相手がいる。それだけで人生は捨てたもんじゃない(by『海の上のピアニスト』)

太陽がいっぱい。

この作品も人気なんだな。午前十時の映画祭で何度もやるし。ごぜじゅう企画はアンケート取ってるのか観客動員数で決めてるのかよくわからないけど人気作品は再び上演されますね。

 

ニュー・シネマ・パラダイス』『砂の器』なんか何度もやるし。何度も泣けるし。最近のごぜじゅう企画では上映しなくなったのが寂しいところ。今回は『シェーン』『太陽がいっぱい』『メリー・ポピンズ』『雨に唄えば』ですか。あと『七人の侍』か。

 

今回はそんな『太陽がいっぱい』。ルネ・クレマン監督にしては珍しいピカレスク・サスペンス(主人公は悪人だけど感情移入できるやつね)。しかも監督の代表作でもあり主演のアラン・ドロンは一躍国際的スターに。当時のアラン・ドロンは演技の実績があまりなくルネ・クレマン監督は気乗りしなかったそうで。

 

そして。映画と音楽は切っても切れないもので相乗効果で音楽もヒットします。


太陽がいっぱい (ニーノ・ロータ・グランド・オーケストラ)

ニーノ・ロータの曲って『ゴッドファーザー』もそうだけど途中で転調するんだよね。ガラッと明るくなるから戸惑うw。でも却って寂しいメイン部分が強調されて好き。

 

エピソード[編集]

  • 1999年にマット・デイモン主演で、映画『リプリー』が公開された。これは『太陽がいっぱい』の再映画化だが、原作により忠実に映画化されている。しかし後半の展開が微妙に違っている[6]
  • 本作で作曲を担当したニーノ・ロータは、この作品に携わった事に強い不満を残している。フェデリコ・フェリーニの常連作曲家であった彼は、フェリーニのようにお互いに話し合いながら音楽を練っていく方法を是としていた。しかし、本作の監督であるルネ・クレマンは居丈高にロータにフィルムを一方的に送りつけ、これに似合う音楽を作れと命令したため、クレマンの態度にロータは立腹したという。
  • 全編を流れる主題曲は当時話題になったが、サウンドトラック盤は発売されず、日本ではフィルム・シンフォニック・オーケストラが演奏した盤が発売されてヒットした。後にテレビ放映で日本語版を作る時に、このフィルム・シンフォニック・オーケストラ盤を使用したのでサウンドトラック盤と間違われやすいが、実際の映画で使われる演奏は違う。
  • 映画評論家荻昌弘は、父親からの多額の謝礼を当てにしてやってきたトムとその彼を見下し軽蔑するフィリップ、普通の青年二人が金を挟んで出会うことになった、ただそれだけのことでのっぴきならない形で犯罪を生み出す構図でこの二人をピタッと設定したことがこの映画の成功であった、と評している。そしてルネ・クレマン監督が全編イタリアを舞台にして画面を明るくきらびやかにして熱く輝かせ、逆に人間の心の奥の深淵に潜む暗さを対比させ、「白昼の明るさの中での黒い恐怖」というモチーフが「太陽がいっぱい」を支配していると述べている。原作にあるアメリカでトムが父親の大富豪から依頼を受ける話が省略されているのはこのためである。[7]

    太陽がいっぱい (映画) - Wikipedia 

ルネ・クレマン監督は上から目線だったかw。ムッとしながらもきちっと仕事したニーノ・ロータ流石や(それがプロってもんよ)。名曲やしね。

 

それよりもだ。マット・ジミー大西・デイモン主演の『リプリー』はやはりリメイクだったのか(未見なんだけどね)。だってアンソニー・ミンゲラ監督は「これはリメイクではない」と怒ったしデイモンに「『太陽がいっぱい』のアラン・ドロンのように演じてくれ」言うたやないの(どっちなんだよw)。どうやら原作は同じだがこのデイモン版のほうが原作に忠実らしいとのこと。

 

リプリー』に興味なかったけどwiki見たらフレディ役(フィリップの友達)にフィリップ・シーモア・ホフマンやないの。そういや『太陽がいっぱい』のフレディも丸々太ってあんな感じだよなぁ。ごぜじゅう企画でやってくれ!

 

coco.to

満足度が当然ながら高いね。名作の証w。

 

 

ピカレスクって『ゴッドファーザー』等いろいろあるんだなぁ。自分は『陽のあたる場所』(1951年)が見たいなぁ。リズ(エリザベス・テイラー)がめちゃめちゃ綺麗。ごぜじゅう企画でやってくれ!