「耳が聞こえないことは、目が見えないことよりも、より痛切で、より複雑なことです。聾は盲目より不運なことです。なぜなら、それは、最も重要な致命的刺激を失うことを意味しているからです。つまり、言語をもたらし、思考を活性化し、人間同士の知的交際を可能にするのに欠かせない、声という最も重要な音刺激を失うことになるからです。」(by ヘレン・ケラー)
誰でも知ってるヘレン・ケラーの物語。盲聾唖という三重苦はキツいなぁ。wiki見たら発声に関してはある程度克服したそうです。ヘレンのように幼い頃から聞こえないと自分がどう発声しているのかも確認できないため唖者扱いにされてしまうのも仕方のないことかもしれないが。
それにしても真っ暗な世界で生きるのは辛いだろうな。五感のどれかが支障をきたすとそれを補うかのように他の感覚が優れるというけど。映画の中でもヘレン(パティ・デューク)がクンクンするシーンあるけど嗅覚や触覚が鋭いんだろうな。
『奇跡の人』(きせきのひと、the Miracle Worker)は、三重苦の障害を克服したヘレン・ケラーと彼女に奇跡を起こしたミラクル・ワーカーである家庭教師アニー・サリバン(アン・サリヴァン参照)を描いた、ウィリアム・ギブソン(同名のSF作家とは別人)による戯曲。アン・バンクロフト(タイトル・ロールであるアニー・サリヴァン)とパティ・デューク(ヘレン・ケラー)が演じて1959年に初演された。
舞台が最初なのね。ただでさえ有名な戯曲なのにそれを決定的なもの(つまり若い世代にも知られるようになった)のは美内すずえ『ガラスの仮面』かもね。舞台まんまなのか!と思えるくらい格闘技でした。すごいや。ヘレンもサリヴァン先生も。
舞台でも映画でも賞を取るほど絶賛された二人だがサリバン先生役のアン・バンクロフトはヒット作がぼちぼちある程度。パティ・デュークなんかは「もろB級やん・・」という作品ばかり。あんまり聞いたことないなぁ。こういうのも運なのかなぁ。
サリヴァン先生って盲目だと思ってたら弱視だったのね。それでも不便だよなぁ。夜でも眩しくてサングラスかけるなんて耐えられないだろうなぁ(関係ないがよく外人ガーがサングラスかけるのは目の色素によって日本人よりも「眩しく」感じるからだそうです)。
ヘレンのお父さんは最初よく怒ってたけどヘレンを愛してたのだね。でも「甘やかす」と「愛情」は別だからね。自分の娘を「哀れみの目を持って接してくれ」だなんてよく言えるよな。施設に送ろうとしたくせに。同じ痛みを持った(目が見えない)サリヴァン先生のほうがよりヘレンを理解してるぞ。
「同類愛憐れむ」だけじゃ世の中は生きていけないということを教えてくれたサリヴァン先生ぐっじょぶ!躾シーンはもろ格闘技ですよ。ぶっ飛ばされたり叩いたり。すげー。奇跡の人はヘレンじゃなくてサリヴァン先生だったのね(原題みるとわかります)。
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それにしても。蛇口から水を出して「わーらー」言いたくなるのは何故だろう?
THE MIRACLE WORKER / アン・バンクロフト - 奇跡の人 1962