結構普通な満足度。確かにこの作品を見ると「杉原千畝すげーー」となるのですが。でも本当は「どえりゃーすげー」人なのですナゼニナゴヤ?。その物凄さが映画にはにじみ出ていません。上手く描けていません。
いえいえ。そんなことはありません。脇キャラも頑張ってました。感動します。でも普通なんです。普通の感動なんです。wikiで杉原千畝さんの凄さを知ってしまった以上演出が「イマイチ」なんですよ。
興味のある人は是非。結構ボリュームありますぜ。これを読むと映画のペラさがわかります。確かに映画では「日本のシンドラー」というのがわかりますが。それに映画でも史実に基づいてますので。
それはそうなんですが「なんか違う。杉浦千畝の凄さをうまく表現しきれてない」という感じなんですよ。
映画の冒頭で日本の外務省に杉原を訪ねてくるガイジンガー(ユダヤ人)のシーン。彼は「センポ・スギハラ」と言いますが「そんな人物は居ない」と追い返されます。そりゃそうです。本当に「センポ」という名の人はいないのですから。素直に見れば「そんな人は居ない」ことになるのですがよく考えれば(考えなくも)杉原千畝のことだと察しがつきます。
では何故「あ・・(察し)」というか空気を読むことをしなかったのか?ユダヤ人を大量に逃亡させたので人道的には許されるがお役所仕事としては杉原千畝は疎まれていた存在だとわかります。だってガイジンガーを追い返す人は杉原の上司なんですから。
あと「何故に杉原千畝は自分のことを『センポ』と名乗ったのか?」ということになりますよね。実は「チウネ」ってガイジンガーにとっては発音しづらいそうなのです。だから咄嗟に音読みの「センポ」と名乗ったと。
つかここまで深読みしないとわからない演出。ううむ。こないだ書いた『海難1890』は日本・トルコ合作映画であるにも係わらず監督は日本人(これはトルコ側の監督にするかどうか揉めたそうです)だったのに対し『杉原千畝』は日本人の監督じゃないからかなぁ?
とにかく地味に良かったんだけどね。
★
そんなセンポより僕と踊りませんか?
ではまた( ´ ▽ ` )ノ