そんなことより僕と踊りませんか?

例えば良い物語があってそれを伝える相手がいる。それだけで人生は捨てたもんじゃない(by『海の上のピアニスト』)

いやぁ、やはり名作は色あせないよなぁ。

tohoシネマズさんのごぜじゅう企画で『ローマの休日』鑑賞。午前十時の映画祭は物凄い人気ある作品だと毎回やるのですがね。この作品もそう。ごぜじゅう企画は今回が最終回なのでオードリー様主演の作品はこれを持ってきたか!

 

ciatr.jp

あの記者会見シーンで「訪問した中で何処の首都が良かったか」質問に「それぞれの街にもいいところがあって・・」と間を置いてから「ローマ!」と言うのが何度見てもええわぁ。ほんとにあの表情は素敵。おっちゃん泣いてもうたわ。

 

つか映画終わったあと鼻が止まらなかったのは何故かしらん(花粉症?)。

 

「12時にかぼちゃの馬車で姿を消すわ」

「私が角を曲がったら、もう見ないって約束をして」

「お別れになんて言ったらいいのか、一言も思いつかない」

 

そんなこと言われた日にゃ、ぎゅっと抱きしめたくなっちゃうじゃないか!

 

ダルトン・トランボの才能ったら!ストーリーは単純なのにここまで膨らませて名作にしちゃうとは。ある意味赤狩りって意味ないんだよな。こんなすごい人の仕事干しちゃうなんて。実際はトランボの脚本を少し手直ししたらしいけどね。

filmaga.filmarks.com

あんたは何も悪くない。時代が悪かったんや!

 

それにしてもだ。『ローマの休日』は何回も見てるが何度見ても飽きないのは名作たる所以だよね。ウイリアム・ワイラー監督の作戦勝ちだよね。さすが巨匠!

 

1950年代から、アメリカ映画はハリウッドを離れてヨーロッパなどで撮影するケースが増えていた。本作の舞台がローマであったことから、ワイラー監督は最初から撮影場所を現地ローマとして、スタジオをチネチッタ撮影所にする決定をした。

これは、製作費が低く抑えられたために、人件費が安く、また当時チネチッタなどイタリア映画も好調で優秀なスタッフが揃っており、人材面での不安がなく、またパラマウント映画がイタリアで稼いだリラ(国外には持ち出せない)を制作費に充てられる、という理由もあった

ローマの休日 - Wikipedia

先見の明があったんだねぇ。ちなみにフランク・キャプラが監督をすることになっていたそうで。エリザベス・テイラーケーリー・グラントに主演を持ちかけたが当時のパラマウントはそんなに予算がなかったので却下されキャプラも興味を失ってオクラ入りになってたんですと。うーむ。リズのアン王女も見てみたい気もするが。 

 

で、なんやかやあってワイラー監督がジーン・シモンズ推しでヒロイン候補にしたが専属契約していたハワード・ヒューズが彼女の貸出を断ったので当時無名だったオードリー様を採用。リズ→シモンズ→オードリーという流れかぁ。

インタビューでワイラーは「主役にグレゴリー・ペックを使えると決まって急に具体化しました。相手の王女役に大スターを使う必要がなくなったからです。そこで私は無名であっても王女の役にふさわしい娘さんを捜しにかかりました。」と答えている

こういう采配も上手いなぁ。スターで客を呼べるというのもあながち間違いではないし。ヘプバーンは当時無名でもその頃は映画9本も出演してたからなぁ。才能も認められてたんでしょう。実際『ローマの休日』でオードリー様は人気が爆発したんだし。

 

製作当初は、主演としてグレゴリー・ペックの名前が作品タイトルの前に表示され、ヘプバーンの名前はタイトルの後に共演として載る予定だった。しかしペックは撮影が始まってすぐに自分のエージェントに問い合わせ、自分と対等にするように要求。エージェントもスタジオも最初は渋ったが、ペックは「後で恥をかく。彼女は初めての主演でアカデミー賞を手にするぞ」と主張、ヘプバーンの名前は作品タイトルが表示される前に、ペックの名前と同じ主演として表示することになった。各国のポスターなどの宣材でもペックと同等の扱いになった

オードリー・ヘプバーン - Wikipedia

 グレゴリー・ペックの「オードリー推し」が相当強かったようでw。そりゃそうだよなぁ。共演してりゃ相手の力量がよくわかるってもんだしな。とにかく大人未満子供以上な不透明で純粋なアン王女役にはピッタリだもんな。

 

 

カメラマンのアーヴィング(エディ・アルバート)が空気を読んでアン王女にライター型カメラ見せたり撮った写真を渡したりするのもええなぁ。演出も最高だから名作なんだよなぁ。ちなみにあのライター型カメラは日本製(エコー8)だそうです。