そんなことより僕と踊りませんか?

例えば良い物語があってそれを伝える相手がいる。それだけで人生は捨てたもんじゃない(by『海の上のピアニスト』)

「トラバありがとうございます」と言い切っちゃう人は承認欲求が強いのではないのだろうか?

この「一方通行」について、たとえばトラックバックを「読みましたよというお知らせ」として使う「関連仲間文化圏」の人たちや、「ごあいさつ文化圏」の人たちは、あまり気にしていないと思う。トラックバックを「送る」という行為そのものに意味があるわけだから。

確かにw。アクセス云々なことは気にしてないと思う。でもトラバを送る行為そのものに意味があるだけではないのでは?とも思うw。

自分もトラバとかしますが最近は「トラバありがとうございます」と返ってくるコメント多いです。「ええ?もしかして『ご挨拶文化圏』な人?」とも思ったが。でも考えてみたら「ありがとうございます」って言葉は挨拶じゃないんだよね(ふつう、挨拶だったら「こんにちわ」だよね)。たまにリアルで出会う人(知り合いでもない)に「こんにちわ」と言う人もいるかもしれないけど「ありがとう」とは絶対言わないよねソリャソウカ

それで先ほどの。トラバしたということは相手にリンク貼っちゃって「アクセスを奪う」という状態だよね(『言及リンク文化圏』内ではw)。でも奪われてまで「ありがとう」。ドンダケなんだwとも思われるが御本人にとっては感謝しているわけで(だって「ありがとう」は感謝の言葉だし)。で、突き詰めたところ「トラバありがとう」言う人はアクセスなんて二の次で「(星の数ほどあるブログの中からウチを選んでくれた)ありがとう」なのではないかと。たとえタマタマ検索エンジンに引っかかったとしてもだ。わざわざ手間をかけてトラバしてくれたんだぜw。

そういう意味で「ありがとう」なのではないかと。

人間には多かれ少なかれ『承認欲求』というものがあります。

人間は他者を認識する能力を身につけ、社会生活を営んでいくうちに、「誰かから認められたい」という感情を抱くようになる場合が多い。この感情の総称を承認欲求という。
Wiki

ブログをやっている人はこの承認欲求が強いのではないかと思うのです。でもいろんな人が居るように承認欲求が強いのと低い人もいるかもしれない。

アメリカの心理学者マーロウとクラウンは「承認欲求に個人差はあるのか?」と考え、それを調べるためにこんな実験をしています。
大学生を実験室に呼び、インタビュアーの前で何でも自由に話すように依頼する(要するにスピーチみたいなもの)。このとき、インタビュアーに2つの条件を出しました。

  • 条件1:学生がどんなことを話しても聞き手は黙ってその話を聞き入れる。
  • 条件2:学生が自分自身のことを話す度に「うん、うん」と相槌を打つ。

その結果、承認を求める動機の弱い学生たちには相槌は効果が無く話し方はそう変わらなかったのに対し承認を求める動機の強い学生たちは相槌に敏感に反応したそうです。聞き手に相槌を打たれると、そのことを話題に取り上げ話す量も増えたそうです。

これを踏まえて。おけったーでこんな質問したのですがね。最初の頃は「何も変わらない」という回答が多かったのにw。けっこう「嬉しくて・・つい更新しちゃうかもw」という人も出てきて。あ、ちなみに自分は承認欲求が強い方だと思います。はてブや個人ニュースサイトに晒される快感が忘れられなくて『ブログ論』ばかり書いちゃうしww。

そんでもって。タイトルの「トラバありがとうございます」と言っちゃう子なんですが。これも承認を求める動機の強い子がつい嬉しくて「ありがとう」と言っちゃうのかなぁ・・と。ま、自分は「ありがとう」とまではいきませんがねw。

そういう心理というのもアリかな。

でわでわ。今日はこれまで。