そんなことより僕と踊りませんか?

例えば良い物語があってそれを伝える相手がいる。それだけで人生は捨てたもんじゃない(by『海の上のピアニスト』)

ご挨拶文化圏の気持ち。

挨拶は常識
フォローした以上声をかけるべき
みんなどうしているのか

これに拘る人は、ツイッターはただストレスが貯まるだけと思います。

初めて発言小町の回答者で常識人を見たような気がしたw。「結構有名な人にフォローされたので『ありがとうございます。』と言ったら翌日外された。ツイッターには暗黙のルールがあるの?」という質問なんですがね。

フォローする人・される人の数を徹底して限定する人、
とにかく増やすのが楽しみな人、
認証なしで読めないようにしている人、
ネタも「今晩はこれを食べます」がずらっと続く人もいれば、
分刻みに会社や家であったことを書いている人、
議論系の使い方をしている人、
ツイッターの使い方は千差万別です。

人のやり方にイチイチ傷つかない。


これも禿同w。気にしてたらきりがない。確かにwebは生活に潤いを与えるかもしれないけどそれが却ってあだとなり生活を脅かすようになったら本末転倒じゃね?

それはそれとして。ご挨拶文化圏の人でよく目にするのが「トラバありがとうございます」という言葉。自分も何でトラバされたのに「ありがとう」なのかわからなかったのですよ。挨拶なら「こんにちわ」で充分なのに「ありがとう」ですよ。感謝の言葉じゃないですかw。それにリアルで知らない人に「こんにちわ」と言う人もいるかもしれないけど「ありがとう」と言う人は居ませんよね。「応援ポチしましたー」というのよりはマシかな・・ぐらいにしか考えてなかったのですよ。

はてダでは言及リンク文化圏なので。というかはてなツールバーを導入してるから言及するの楽で楽でw。つかはてダ自体も言及リンクされないとトラバ受け付けない仕様なのですがね。それでもメインブログでは関連仲間文化圏です(映画レビューが多いのでそうなっちゃうのですがね)。

で。その中で『ご挨拶文化圏』というのがありまして。わざわざコメントに「トラバありがとうございます」というのをたまに見かけるのです。「ははぁ〜ん。この人はご挨拶文化圏のひとだな」とは思うのですが。何故にトラバされたのに「ありがとう」?トラバされるということはアクセスをトラバ元さんにあげるということになるんだよ・・くらいに思ってたのですが(多分、言及リンク文化圏のひとはそう思うのでは?

自分を絶対の自己として認めたいし、認められたい。でも、誰でもこの世界の絶対的な主人公たろうとする可能性に少しずつ挫折し、可能な範囲で、人から認められたり愛されたりすることで生きていける、ということを知ってゆくわけです。

人間には「認められたい」という欲望があるのです。これは人として生まれた業というもんです。これを踏まえて。「トラバしてくれてありがとう」という人は言及リンク文化圏がいうようなアクセスどうのこうのではなくて「星の数ほどあるブログの中から私のブログを見つけてくれた。ありがとう」ではないのかと思うのです。そう考えると辻褄合います。ご挨拶文化圏は感謝しているのです(だって挨拶だけなら「こんにちわ」だしね)。それにスルーでもいいのにトラバしてきたのですよ。ほんの少しだけ敷居が高いじゃないですか?アクセスという即物的なものではなくて気持ちなのです。心意気なのです。

でもスパムブログに挨拶しちゃうと却って痛いだけだよねw。

でわでわ。今日はこれまで。